「名匠」磯貝善之(いそがいよしゆき)は、スポーツ店の後継ぎとして生まれました。
学校卒業後、知り合いのスポーツ店で3年間の修行を積みます。
ここでスポーツ店の運営を一通り覚えた善之は、21歳で実家のスポーツ店に戻ります。
その時、善之は「このままでは店がつぶれてしまう」と直感したのです。
もはや、スポーツ店で何でもかんでも売っている時代ではありません。
何でもかんでも売るのは、大型スポーツチェーンに任せておけばよい。
それより何か際立つ特徴を持つ必要があると考えました。
その結果、得意な「野球」に商売を絞り込むことに決心をしたのです。
試行錯誤を重ねながら、野球用品の販売に集中します。
しかし、何かが足りません。
そんなある時、近くで「グラブの型付け」で勝負をしているスポーツ店のことを知りました。
早速、善之は「型付け」のことを教えてもらいにその店に行きます。
すると、その技術の源流は博多にあることが分かったのです。
それが、善之の「江頭流」との出会いでした。
「これだ!うちの店に必要なものが見つかった!」
善之は、いてもたってもおられず博多に飛んで名工・江頭氏のもとを訪ねます。
江頭氏は、ある野球グラブメーカーの社員ですが、そのグラブ作りの技術で名を馳せていました。
全国からスポーツ店の人達が学びに来ます。
善之もその1人に加わったのです。
しかし、江頭名人は何日たっても「技術」のことはさっぱり教えてくれません。
教えてくれるのは「心」のことばかりです。
技術は見て学べというスタイルです。
善之は来る日も来る日も、手のひらをぼろぼろにしながら、切り傷の痛みをこらえながら「グラブの型付」を続けます。
相変わらす江頭名人は、善之の作業を見ているだけです。
そして、ようやくその時が来ました。
善之27歳の時、江頭名人から「免許皆伝」を与えられたのです。
既に5年の歳月が流れていました。
その学んだ技術を自分の店に持ち帰り、「グラブの型付け」を売りものにしていきます。
作業場を店の入り口に設置し、お客にも作業工程が分かるようにしました。
その甲斐あって、店では「型付」の注文が日に日に増えていきます。
出来上がりまで2ヶ月以上待ってもらうこともしばしばです。
そんな好調さに浮かれることなく、更なる「江頭流」の習得に努めます。
そして、善之はあることに気がつきました。
「江頭流」は決して万人向けの加工技術ではありません。
プロ選手やかなりトップクラスの選手向けの技術です。
ところが、お店のお客様には初級者の方も多いのです。
今のままでは、このクラスのお客様に「型付け」の素晴らしさを味わってもらうことが出来ません。
そこで善之は、その方たちにも「やさしい捕球」ができるように加工をしてあげようと考えました。
「江頭流」にはない技です。
教えて貰っていない技ですから、自分で工夫をするしかありません。
どうしたら、お客様に喜んでもらえるだろうか?
悶々とする中、そのヒントは偶然見つかりました。
小学校2年の子供さんのグラブの型付けをしていた時のことでした。
相手は子供です。お父さんからは捕りやすくして欲しいというリクエストです。
初めてでも簡単に捕れるように、グラブに柔らかいところと硬いところのメリハリをはっきりとさせました。
「このイメージだ!」
善之はひらめきました。
「薄い新聞紙に鉄のボールを落とすと、勢いで薄い新聞紙が勝手に閉じる感じ!」
以来、善之は「魔法のようなグラブ」に加工することを追い求めました。
「江頭流」と出会って10年、これが「自分にしか出来ない技」だと自信を持っていえるだけの域には達しました。
2000人のグラブの「型付」を通してたどり着いた境地です。
これを「磯貝流」と名付けました。
それから更に15年が経ちましたが、まだまだ完成したわけではありません。
自分が本当に納得の行く仕上がりになるのは5割くらいです。
全ての人に喜んでもらえるようになるまで、精進を重ねなくてはなりません。
今日も善之は「磯貝流」の完成を求めて道具を振るいます。